川上麻衣子さんと
選挙対策会議
本気になれ!児童虐待ゼロ
1月11日、狭山市で顔にやけどを負った3歳女児が病院を受診することなく亡くなり、母親と内縁の夫が逮捕された事件がありました。
21日、この事件をなぜ防げなかったのかを検証するための市要保護児童対策地域協議会が開催され、市も含めた情報共有に不備があったことが言及されました。
この事件については、母親と内縁の夫がLINEで虐待のやり方をやりとりしていたこと、また犠牲になった羽月ちゃんがペット用のリード様のひもで拘束されていたことなどが伝えられています。
逮捕の日から今日まで、詳細が次々と報道されているのを聞くたびに、抑えきれない怒りを感じました。
強い者は弱い者のために尽くすのが日本の当たり前の道徳です。
それが崩壊しているのであれば、行政が後手後手に動くだけでは不十分です。
児童虐待の防止には、「親を育てる」という観点も必要です。
虐待しない親を作ることも、政治や社会に求められていることなのです。
羽月ちゃんの冥福を心から祈ります。
行政の対応が遅いせいで亡くなるこどもをゼロに。
もうこんな事件を起こしてはなりません。
隊友会 武山支部新年賀詞交換会
国吉一夫新年会
山本たかし市会議員
神奈川脳外傷リハビリテーション講習会
湘南連合神輿保存會・新春の集い
自民党西区連合支部総会
湘南地区自衛隊協力6団体の
トラック協会横浜ブロック
天皇皇后両陛下・フィリピン鎮魂の旅
到着から一夜明けた27日、両陛下は大統領府であるマニラのマラカニアン宮殿で行われた歓迎式典に臨まれました。
フィリピン訪問ご出発に当たり、天皇陛下はおことばを述べられました。
おことばでは「フィリピンでは,先の戦争において,フィリピン人,米国人,日本人の多くの命が失われました。中でもマニラの市街戦においては,膨大な数に及ぶ無辜のフィリピン市民が犠牲になりました。私どもはこのことを常に心に置き,この度の訪問を果たしていきたいと思っています。」とお話しされ、国や立場にとらわれず、すべての無辜の魂にお心を寄せられました。
陛下が言及された通り、先の戦争では、マニラをはじめとする各地域で激しい市街戦が行われ、日本人だけで50万人以上、さらには全島で100万人以上の現地民間人が亡くなったそうです。
国と立場を問わず、多くの無名の魂がこの島に眠っています。
今回のご滞在中には、ルソン島東部にて、両国の戦没者の慰霊に臨まれるそうです。
これは両陛下のたっての希望とのこと。
私も遠く離れた日本から、陛下とともに祈りをささげたいと思います。
天皇陛下フィリピン御滞在・晩餐会でのお言葉
27日、フィリピンにご滞在中の天皇陛下は晩餐会の席上、お言葉を述べられました。その内容を皆様にご紹介いたします。
陛下はまず、54年前に初めてフィリピンをご訪問されたことを振り返りつつ、日本とフィリピンの交流の歴史、そしてスペインによる植民地支配からの独立を振り返られました。
特にフィリピンの国民的英雄であるホセ・リサールの活躍について詳細に述べられ、「武力でなく、文筆により独立への機運を盛り上げた人」と紹介されました。
陛下のスピーチによりますと、このリサール氏は「両国の友好関係の先駆け」となった人物であり、若い時代に日本に1カ月半滞在し、日本とフィリピンの交流が将来発展すると書き残した人だそうです。
続いて陛下は、先の対戦で多くのフィリピン人の命が失われた事にふれ「このことは、私ども日本人が決して忘れてはならないことであり、この度の訪問においても、私どもはこのことを深く心に置き、旅の日々を過ごすつもりでいます。」と述べられました。
この皇室の祈りの尊さを明確に表現されているのが、陛下に先立って挨拶されたアキノ大統領のお言葉です。
あわせて紹介したいと思います
「貴国の象徴として、善意を体現する存在として、天皇皇后両陛下がいかなる困難を担われてきたのか、私には想像することしかできません。私が大統領の座に就く際には、任期中に限っては自身を犠牲にしなければならないということを十分承知して、国民から負託されたこの職務を引き受けました。その私が両陛下にお会いして実感し、畏敬(いけい)の念を抱いたのは、両陛下は生まれながらにしてこうした重荷を担い、両国の歴史に影を落とした時期に他者が下した決断の重みを背負ってこられねばならなかったということです。」
今回のご訪問に限らず、陛下は訪問する国や地域の歴史をいつも非常によくお調べになっていらっしゃり、無名の人々の痛みや苦しみに心を寄せ続けていらっしゃいます。
今回のご訪問で、そのような皇室の祈りが国を越えて伝わった事を本当に嬉しく思います。
負けないで、、、
新たな後援会発足・日本公認会計士協会
花粉症
数日前から花粉症のような症状が。
もう、飛んでますよね(^^;