「八紘一宇」について、予算委員会の質問でお伝えしたかったこと。
昨日の予算委員会における私の質疑にたくさんの反響を頂きました。
ご意見の中には、「八紘一宇」という四字熟語について、「戦争や侵略を正当化する『スローガン』『標語』だったことを軽く見ている」といったご指摘が多くありました。
私があえて「八紘一宇」という言葉をつかって、委員会質疑で問題提起を行った意図をお伝えしておきたいと思います。
この言葉が、戦前の日本で、他国への侵略を正当化する原理やスローガンとして使われたという歴史は理解しています。侵略を正当化したいなどとも思っていません。私は、この言葉が、そのような使い方をされたことをふまえ、この言葉の本当の意味を広く皆さんにお伝えしたいと考えました。
ご指摘いただいた中にもありましたが、「八紘一宇」という四字熟語そのものは、大正時代に入ってからつくられた言葉であると言われていますが、もともとは神武天皇即位の際の「橿原建都の詔(みことのり)」にそもそもの始まりがあります。
是非、全文をお読みいただきたいと思いますが(「橿原建都の詔」の全文は、末尾に引用させていただきました)、まずは該当部分の抜粋をご覧ください。
「八紘(あめのした)を掩(おお)いて 宇(いえ)と為(せ)んこと 亦可(またよ)からずや」
今回、私が皆さんにお伝えしたかったことは、戦前・戦中よりも、ずっとずっと昔から、日本書紀に書かれているような「世界のすみずみまでも、一つの家族として、人類は皆兄弟としておたがいに手をたずさえていこう」という理念、簡単に言えば「みんなで仲良くし、ともに発展していく」和の精神です。
この詔を素直に読んでみますと、国民のことが「おおみたから」と呼ばれているように、自分より他人をいつくしみ思いやる利他の精神、きずなを大切にするこころや、日本の家族主義のルーツが、ここに表れているのではないかと私は感じました。
今回、「陸奥(むつ)の国震災賑恤(しんじゅつ)の詔」でもご紹介いたしましたが、歴代天皇の詔やお言葉のなかに引き継がれている、人をいつくしむ精神こそ、長い歴史をもつ日本という国の理念としてとらえ直すべきではないか。そうして、もともとの意味にもどって、世界の人に理解してもらえるよう発信していくべきではないか。そう、私は考えたのです。
その思いから、今回の質疑の中で、この言葉を申し上げることに決めました。
今回の質疑では、グローバル資本主義の下、競争社会が行き過ぎ、つまり弱肉強食であって、自分さえ儲かれば他人などどうでもいいといった考え方が世の中にあることをうれい、それを正すための理念が必要だと考えました。
今回の私の質疑がひとつのきっかけになって、忘れられようとしている日本の「建国の理念」と「天皇陛下の祈り」について、広く知って頂くとともに、皆様に考えて頂ける機会になって欲しいと思っております。
最後に、ご批判も含め、皆様から頂いている様々なご意見を糧として、私の議員としての今後の活動に、しっかりと活かしていきたいと思います。
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予算委員会の質問でお伝えしたかったこと
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