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Channel: 三原じゅん子オフィシャルブログ「夢前案内人」Powered by Ameba
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女手一つで育てた母、愛子に「素晴らしかった

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女手一つで育てた母、愛子に「素晴らしかった」

 【ソチ=児玉浩太郎】あと一段が高かった――。

 ソチ五輪モーグル女子の上村愛子選手(34)は8日(日本時間9日)の決勝で4位となった。「なんでこんなに一段一段なんだろう」と涙を流した前回五輪から4年。最後の五輪と決意して臨んだ今回も、表彰台には立てなかった。それでも最高の滑りを見せ、「愛子スマイル」で締めくくった。見守ってきた家族は「すべてを出し切った」とたたえた。

 「そこに行きたい」。決勝後のインタビューに応じていた上村選手は、観客席にいた母、圭子さん(62)を見つけると、指をさしながら表情を緩ませた。手を振り合う2人の間にフェンスがあり、互いの距離を縮めることはできない。でも、メダルに挑み続けた16年間を、かみしめるかのように向き合っていた。

 ゴール後も、上村選手はゴーグルを外そうとしなかった。目に涙があふれていたからだ。「いい滑りができてよかった」。その涙だった。14歳でモーグルを始めて20年、メダルには届かなかったが、最高の滑りができたと確信した。「メダルが狙えるところまで来られたのがすごくうれしい」

 ◆一番の応援団

 圭子さんは、びっしり寄せ書きされた日の丸の旗を握りしめ、娘の最後の五輪を見つめた。「今まで本当に一つ一つ階段を上がってきた。今回も一つだけでいいので上がらせてあげたい」と祈るように話した。

 1998年の長野五輪から5大会連続で現地観戦してきたが、ソチでは予選前日に一度だけ、娘と話した。「私が気を使ってしゃべると、愛子は悟ってしまうので、あまり話はしないようにしている」。母だからこその配慮だった。

 最後の滑りが終わると、圭子さんの目から、せきを切ったように涙があふれた。「本当によく頑張った。素晴らしかったと伝えたい」

 夫と離婚後、長野県白馬村のペンションを切り盛りし、女手ひとつで2人の子を育てた。娘にとって一番の応援団。2006年のトリノ五輪では、メダルを逃した娘に紙皿で作った大きな金メダルを贈った。

 バンクーバー五輪後、上村選手は1年休養したが、悩んだ末に「モーグルでしか自分を表現できない」と現役続行を母に伝えた。「本人が決めたことだから」と娘の決断を応援してきた。

 最後の挑戦は終わったが、「あの子の人生にとって、すごくいい経験になる。大事にしてほしい」と願った。

「普通の生活をして、普通の話をして、楽しいことを見つけて」。応援団から母親の顔に戻り、そう語った。
(2014年2月10日09時39分 読売新聞)


素晴らしい滑りでしたね。

ターンの点数がもっと高くても良かったのでは?なんて思ってしまいましたが、ご本人は満足のいく滑りだったようですね。

素晴らしい経験が、また一回り上村選手を大きくするのでしょう。

これからの上村愛子さんに注目していきたいですね。




お母様にも「お疲れ様でした」


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