3月11日を迎えました。
あの大震災から2年がたちました。今日は、国立劇場で、東日本大震災二周年の追悼式が行われます。私ももちろん参列します。
まず、犠牲者の方々のご冥福をお祈りします。そして、被災者の皆さんをはじめ、復興に向けて力を尽くしておられるすべての皆さんのこれまでのひたむきな努力に感謝したいと思います。
東日本大震災は、1000年に一度の大地震だといわれていますが、今から1144年前の平安時代、貞観11年(869年)の5月にも、東北地方を巨大な地震が襲いました。
原発の安全性を再評価する経済産業省の2009年の審議会で、大津波を伴う大地震の歴史的事例として、専門家が指摘した「貞観地震」です。貞観年間は、その他にも、富士山の噴火、近畿地方の群発地震、肥後国(熊本県)の大雨、隕石の落下、疫病の大流行など、天変地異や災害に日本各地が悩まされた時期だったそうです。
貞観地震の被害に心を痛めた清和天皇は、御年19歳だったそうですが、陸奥(むつ)の国震災賑恤(しんじゅつ)の詔(みことのり)をおおせ出されます。
陸奥(むつ)の国震災賑恤(しんじゅつ)の詔(みことのり)(貞観十一年十月十三日)
「如聞(きくならく)、陸奥(むつ)の国境は、地震尤(もっと)も甚しく、或(あるい)は海水暴(にはか)に溢(あふ)れて患(わざはい)を為し、或(あるい)は城宇(じゃうう)頻(しき)りに圧(つぶ)れて殃(わざはい)を致すと。百性(ひゃくせい)何の辜(つみ)ありてか、斯(こ)の禍毒(かどく)に罹(かか)れる。憮然(ぶぜん)として歯媿(は)ぢ懼(おそ)る。責(せめ)深く予(よ)に在り」
「既に死せる者は、尽(ことごと)く収殯(しうひん)を加へ、其の存する者は詳(つまびらか)に賑恤(しんじゅつ)を崇(おも)くせよ。其の害を被ること太甚(はなはだ)しき者は、租、調を輸(いた)す勿れ。鰥寡孤独(かんかこどく)にして、窮(きゅう)して自ら立つこと能(あた)はざる者は、在所(ざいしょ)に斟量(しんりゃう)して、厚く支(ささ)へ濟(たす)くべし」
つまり、大地震や大津波の被害に国民が苦しむ様子の報告を受けて、清和天皇は、辜(つみ)のない国民を苦しめた自らの不徳を悔い、その上で、死者のおとむらいに手をつくす、生存者には金品をあたえる(賑恤・しんじゅつ)、税金を減免するなど、ことこまかに心をくだいて、困った人に対してそれぞれの事情に即した手厚い支援を差し伸べるよう、詔されたのです。
天変地異に際して、自らの不徳を省みる御心に、私は素直に驚き、さらに国民のことを第一にお思いになるその御心の広さに、私は深く心をうたれました。
このような、つねに国民とともにあろうとなされる天皇の御心は、その後の時代にも受け継がれていきます。
関東大震災時には、「皇都復興に関する詔書」(大正十二年九月十二日)が発出されました。そして二年前の「東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば(ビデオ)」(平成二十三年三月十六日)にまで到ります。
(宮内庁ホームページ)
その一部を抜粋して、あらためてご紹介したいと思います。
「この度の東北地方太平洋沖地震は,マグニチュード9.0という例を見ない規模の巨大地震であり,被災地の悲惨な状況に深く心を痛めています。地震や津波による死者の数は日を追って増加し,犠牲者が何人になるのかも分かりません。一人でも多くの人の無事が確認されることを願っています。また,現在,原子力発電所の状況が予断を許さぬものであることを深く案じ、関係者の尽力により事態の更なる悪化が回避されることを切に願っています。」
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「海外においては、この深い悲しみの中で、日本人が、取り乱すことなく助け合い、秩序ある対応を示していることに触れた論調も多いと聞いています。これからも皆が相携え、いたわり合って、この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています。」
「被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います。被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、また、国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています。」
天変地異に対して、謙虚に畏怖し、復興を祈り、将来の希望を見出そうとする歴代の天皇陛下の御心を思うと、自然に対してはもちろん、科学技術の発展についてもおごることなく、「畏れ」と「祈り」を忘れず、責任をもってこれからの議員活動につとめていこうと、私はあらためて心に誓いました。
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東日本大震災追悼式典 2
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