胸が熱くなる記事を読みました。
「地獄の亡者のよう」壮絶な闘病…団十郎さん
3日に死去した十二代目市川団十郎さんは不屈の人だった。
白血病による2度の入院。その後の貧血症状を改善するための造血幹細胞移植。抗がん剤や末梢(まっしょう)血自家移植など、本人いわく「フルコースのディナー」のような苦しい治療に耐え、その都度、不死鳥のごとくよみがえった。
まじめで、ひたむきな人柄は闘病生活にも表れていた。冷静に大病と向き合い、治療経過を報告。記者会見では難しい病名や治療法を報道陣に分かりやすく説明した。その人が2006年の復帰会見で「地獄の亡者のよう」と治療の苦しみを語った時は、その壮絶さを思って言葉を失った。
08年の会見では、貧血で度々輸血を受けたことに触れ、「多くの方の善意で生かされている。それを舞台の上でどう表現できるか」と語るなど、常に周囲への感謝を忘れなかった。
「歌舞伎十八番」の中には長く上演されていないものもある。復活上演にも意欲を燃やしたが、そのやり方にも、この人らしさがあった。例えば1982年に叔父の二代目尾上松緑が復活させた「象引(ぞうひき)」。団十郎は「イメージが違う」と感じつつも、「せっかく叔父さんがなさった。どのくらい期間をおいたらよいのか」と悩み、27年後の09年、国立劇場でようやく自分のイメージを形にした。この誠実さがこの人の本質ではないか。
現代劇の手法を取り入れるなど、歌舞伎を活性化させる試みは盛んだが、団十郎のような生真面目さが伝統を支えてきたことも忘れてはなるまい。(文化部 多葉田聡)
(2013年2月4日09時09分 読売新聞)
まさしく地獄のような闘病生活だったのでしょう。
でも、必ずや乗り越えられると自分を信じていたでしょう。
絶対に舞台に立つという強い思いが支えてきたのでしょう。
残念でなりません。
沢山のことを私達に教えてくださった、、、
ご冥福をお祈りします。
「地獄の亡者のよう」壮絶な闘病…団十郎さん
3日に死去した十二代目市川団十郎さんは不屈の人だった。
白血病による2度の入院。その後の貧血症状を改善するための造血幹細胞移植。抗がん剤や末梢(まっしょう)血自家移植など、本人いわく「フルコースのディナー」のような苦しい治療に耐え、その都度、不死鳥のごとくよみがえった。
まじめで、ひたむきな人柄は闘病生活にも表れていた。冷静に大病と向き合い、治療経過を報告。記者会見では難しい病名や治療法を報道陣に分かりやすく説明した。その人が2006年の復帰会見で「地獄の亡者のよう」と治療の苦しみを語った時は、その壮絶さを思って言葉を失った。
08年の会見では、貧血で度々輸血を受けたことに触れ、「多くの方の善意で生かされている。それを舞台の上でどう表現できるか」と語るなど、常に周囲への感謝を忘れなかった。
「歌舞伎十八番」の中には長く上演されていないものもある。復活上演にも意欲を燃やしたが、そのやり方にも、この人らしさがあった。例えば1982年に叔父の二代目尾上松緑が復活させた「象引(ぞうひき)」。団十郎は「イメージが違う」と感じつつも、「せっかく叔父さんがなさった。どのくらい期間をおいたらよいのか」と悩み、27年後の09年、国立劇場でようやく自分のイメージを形にした。この誠実さがこの人の本質ではないか。
現代劇の手法を取り入れるなど、歌舞伎を活性化させる試みは盛んだが、団十郎のような生真面目さが伝統を支えてきたことも忘れてはなるまい。(文化部 多葉田聡)
(2013年2月4日09時09分 読売新聞)
まさしく地獄のような闘病生活だったのでしょう。
でも、必ずや乗り越えられると自分を信じていたでしょう。
絶対に舞台に立つという強い思いが支えてきたのでしょう。
残念でなりません。
沢山のことを私達に教えてくださった、、、
ご冥福をお祈りします。